<   2007年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

健在なり、高橋てい一

清水建設技術研究所安全安震館

6月22日第一工房とOB会主催で見学会があった。
第一工房は、事務所として節目になるような物が竣工したときに合わせて、
OBにも声をかけて見学会と懇親会を行っている。
近年では、群馬県立美術館や陶器二三雄設計の国会図書館関西館があった。

安全安震館は十数年来高橋さんが暖めてきたかわいいプロジェクトの、
完成でありスタートでもある。
三、四年前にギャラリー間で行った高橋さんの建築展にも、このコンセプトモデル
が展示されており、それを前にして計画について熱く語られたことを思い出す。
サスペンションによる免震構造、「やじろべい免震」と名付けている一本足の建築。
清水の技研の中に建っているのは、清水建設がプロジェクトに興味を示し自社事業として建設したため。その結果、高橋さんを始め構造設計者や清水建設共同の国際特許取得に至ったとのこと。(詳細は2007.03-04 GA JAPAN)

技研にはこの他にも、フロート構造の風洞実験棟やかなりしっかりしたビオトープや壁面緑化、建築の歴史館など建築テーマパークとしても楽しんで学習できる優れもの。
ふらりとではだめですが申し込めば見学できるそうです。

安全安震館外観(雨のため写り悪し、雑誌参照。技研のためこれ以外の撮影は禁止)
c0113608_199575.jpg


高橋レクチャー
語り出したら止まらないのはいつものごとく、1924年生まれ84歳とは思えないパワーはどこから生まれるのか?
高橋さんは建築に入る前に飛行機の設計をやってたせいか、メカのディテールには尋常ならぬ熱意を見せていた。
c0113608_1994146.jpg


説明と撮影に熱心なOBたち(人相の怪しいのが仙台の針生承一)
c0113608_1910868.jpg


鮎川 透
[PR]
by mono_koto | 2007-06-27 20:10

小笹のストリートにネーミング。

c0113608_21471786.jpg2007.6.9 朝日新聞に『小笹 ストリートネーミングプレート事業』の記事が掲載されました。この事業は、2006年4月からはじまり、小笹公民館、男女共同参画、ミセス&ミセスの会(小笹校区で小中学生を持つ母親9人)によって行われたものです。

小笹の10本の通りに名前を付け、プレートにして設置。

転勤族の多い小笹地区。通りに愛称があると覚えやすく、早く街になじめるのでは…。交通事故や不審者情報を伝えやすくし、子どもの安全を守りたい。という母親、公民館の思いから始まりました。

ロケット公園通り(以前ロケット型の遊具があった公園側)や七夕通り(7月に住民のささ飾りでにぎわう)といった地域の特徴が感じられる名前がつきました。
制作費は地元の自治連合会が負担してくださいました。私は知らなかったのですが、とても珍しい事だとか…。

10月から専門科として福田・楢崎、垣外が参加しました。

c0113608_2259148.jpg

打ち合わせは小笹公民館で、朝10時から12時まで。お昼時に終わるのでおにぎりが出ることも。
提案したプレート10種類の中から、ああでもないこうでもないと悩んで決めました。
集まられたみなさんは、地域を良くする為に積極的で前向きでした。通り名だけでは足りず、私にもネーミングしてくださいました。

幸せなお仕事でした。
福田さんまたお願いします♪

垣外 波瑠香
[PR]
by mono_koto | 2007-06-26 23:02

次の日は必ず二日酔い:パート2

山田脩二 来襲

突然のお誘い電話に、どうして少し前に連絡くれないの?との問いに、事前通告すると逃げられるから突然が良いのだそうだ。
そういえば石山修氏のブログに時々突然の来襲の顛末が上がっていたことを思い出す。

とはいえ、住宅建築1月号「内藤廣特集」について伺いたくもある。いやな予感を感じつつ雨の中春高氏のセットしたお店に顔を出すことに。そこにはさらに思いもよらない
平松暁ご夫妻のお二方も。何でも通りでばったり会ってどちらが拉致したかは不明だが合流、それにhazimeと鮎川というメンバー。

どうやら、内藤&山田の企画を仕掛けたのは、平良敬一氏らしい。建築思潮社の代表で建築ジャーナリストとして、時流に左右されないしっかりとした視点を持って長きに渡り、第一線を走り続けてこられた。脩二さん曰く、80年代以降の建築ジャーナリズムの不甲斐なさの中で、頼りに出来そうなのは平良さんぐらいしか居ないよ、と。
平良さんに、脩ちゃん写真撮らない?とけしかけられ、内藤建築との対決。十何年ぶりに気合い入れて撮影したと吐露。これから良いのは内藤かなー、でも海の博物館や牧野富太郎館の魅了に比べ、益田の文化センターはちょっとちがうかなーとも。
私も現物を見たときの外観に、少し違和感を感じた。町並み、周辺とのスケールとのギャップか?現物と写真とずいぶん印象が違いますねー、との問いに脩二さん曰く「実物どおりのもの撮ったって、何の意味もないだろう。別物だ・・・」
というようなやり取りがとぎれとぎれ、どこまでがまじめで冗談かの境目を行きつ戻りつつ続いた久々、いやもしかしたら脩二さんとまじめな建築の話しをこんなに詰めて交わしたのは始めてかもしれない。

翌日は、新宮の地鎮祭に出席。心地よい風に二日酔いは少しずつ遠のき、昨夜の会話を反芻しつつサウナに居るであろう山田脩二の姿を想像する。
何人も畏れず、何人にもこびず、何人をも受け入れる、山田脩二の来襲だった。

鮎川 透
[PR]
by mono_koto | 2007-06-16 11:01

次の日は必ず二日酔い

c0113608_15135920.jpg


右の仙人のような風貌の方をご存知でしょうか。
この人が来ると聞いたら町の人々は逃げていく、次の日は必ず二日酔いで苦しむことになるからです。

ひさしぶりにグラフィックデザイナーの春高壽人 氏に連絡を取った際、山田脩二が来ると聞き、案の定、4件はしご、二日酔いで今日も苦しむこととなった。

山田脩二は、私が中学生のときからのお付き合いである。写真はひげを切り揃えているが、普段はそのまま伸ばし続け、赤い顔の仙人が実は建築、いや都市写真家、そしていぶし瓦の有名な瓦師であると知ったのは大学に入ってからのことである。

桑沢デザイン研究所でグラフィックデザインを学び、「俺の人生は”焼く”ことだ」をコンセプトに写真、瓦、竹を焼いてきた。飲む時のパワーもすごいが、その人生にかける一貫したコンセプトに注ぐパワーはなかなかマネできるものではない。
そんな彼に魅了され、数々の著名な建築家が彼の周りを囲んでいる。伊藤豊雄、磯崎新、石山修、内藤廣、安藤忠雄。彼に自身の作品を撮らせると、陰影の強い墨のような黒に塗りつぶされ、「圧巻ですよ!」の言葉と共に山田脩二の作品に成り代わる。

愚痴のような建築家への批評、おろかさに気付かせる建築写真、山田脩二68歳が焼き続けるやわらかく光を放ついぶし瓦は、彼の見てきた日本の都市、幻想を文句に作品を作り続ける建築家に「日本の品格」を見せ付ける。

兵庫県立美術館から舞台を移し、今度は福岡で、酒豪の実力ではなく山田脩二の写真の力を活字にできない建築批評と共に見せ付けてほしい。

C+風 hazime
[PR]
by mono_koto | 2007-06-15 15:20 | モノコト日記

ゲーリーのスケッチ

ゲーリーのスケッチ(映画)
c0113608_121649100.jpg

奇才、天才的建築家の仕事がわかって興味深い。フランク・ゲーリーもまたユダヤ系アメリカ人だった。カナダから移住してきた家族は貧困でトラックの運転手まで経験していた。やはり家族や民族のようなものを背負っていた。
すでに17−8年前になるだろう。ゲーリーのサンタモニカの事務所をたずねたことがある。1時間ほど時間をもらって話をした。映画にも事務所が出てくる。映画の冒頭、ゲーリーのパートナーとしてはさみで、紙を切りながらゲーリーの考えを形にしていくクレッグは、バートンマイヤーズの事務所で先輩にあたる。作品集でもわかるが、彼が若い時の作品は、むしろ平凡な建築である。事務所の経営難にも悩まされ、やりたくない仕事も手がける、そんなゲーリーの施主が、そんなにいやな仕事はやめればいい、と助言するくだりがある。
確かに才能は決定的な要因であるが、自らリスクを背負う、極限まで追い込めるかどうか、その決断と勇気が、天才と凡才の最初の分かれ目であることが良く伝わってくる。
それにしても、才能とは恐ろしい。いくらでも予算なんかついてくる、といった感じだ。アメリカの経済界のトップが建築を文化、あるいは自らの高尚な趣味(?)として語る場面はうらやましい。また、車のデザインと同じように、まさにゴミ(彼自身、発想原点はゴミ箱の中、と比喩的に述べる場面がある)のような形をセンサーがなぞり、図面化する仕事の仕方は圧巻である。コンピューターでできる新しい造形ではない。あくまで先行するのは、手で生み出されるアナログ的な造形であり、その現実化にコンピューターが駆使されている。
確かに歴史に残る建築家であろうが、後継者は、決してでない。白井晟一がそうであったように、弟子はあくまで弟子でしかありえない。
映画監督の友人との間の対話で、話が進むが、決してゲーリーの建築について深さを求めてはならない。駄作だ!という映画評を見たが、そうかもしれない。
ただ、人間としてのゲーリーをかいま見るのに最適な映画であろう。
それにしても、日本において知る限りゲーリーの作品は、撤去された(?)神戸のフィッシュダンスというレストランが唯一だと記憶している。あの「ずれ」やあえて「おさまらない」「おさめない」「不均等」な仕上げなど日本のゼネコンが最も不得手とするところであり、やはり、この国にはゲーリーを、彼の作品の破天荒さを受け入れる土壌は無い。
[PR]
by mono_koto | 2007-06-14 12:20 | 書評

3つの会合

3つの会合
会合1
6月7日 木曜日夜7時から
ある前国会議員と九大の薮野先生を囲んで、「現状分析」など昨今の政治状況の話をしました。この会合がなんでデザインと関係があるのか?
実はとても、おもしろく政治と世代の価値観、時代感などを日頃接する事が無い方々と話をするのは、有意義な事です。
その中で、2年前の福岡西方沖地震の際の話が出ました。九電体育館に多くの方々が被災され一時非難をしたのですが、そこに駆けつけたのが建築家、坂茂です。彼は、突如として九電体育館に現れて、彼が考案している仮設のシェルターを設置して欲しいと願い出ていたのです。ところが、現場の行政職員は、まったく対応ができず、たまたま現地を視察していた民主党の岡田代表(当時)に直談判し、玄関で雨の中、仮設組み立てを行ってデモンストレーションを行いました。この経緯の中で、前国会議員から私に電話があり、行政と坂茂との仲介や、岡田氏への紹介の詳細などなど、すったもんだがありました。
2年も経過して、前国会議員が「坂茂(先生)はすごい人なんですね!岡田さんが、田中眞紀子に呼ばれて、対応がなっていなかった、と叱られたんですって!」と言ってきました。さすが坂茂は、決して作品だけではありません。
あそこまで到達する建築家は、「社会正義→国会議員→自分の立場」を着実に固める才能があります。当然、作品を創る才能は言うまでもなく。

会合2 6月8日 金曜日夜7時
福岡にロシアからAndrey V KAZNACHEEVさんが来ました。今回の目的は30名ほどの様々な分野の先生、専門家から構成されたデレゲーションの一員で、東京で文科省、東大総長などと会合し、京都では京都大学を訪問したそうです。
Andreyさんは、福岡に縁あって、福岡のデザイン教育機関との提携を計るために来福されました。今、ロシアは、デザインビジネスへの関心が極めて高く、その教育振興のために日本のデザイン教育機関との連携が不可欠と考えているようです。Andreyさんの大学は5年制で1学年250名程度、6年前にできた大学で、これから本格的にデザイン教育,特にプロダクト、インテリア、家具などに力を入れていくそうです。
私自身、ロシアは行った事が無く未知の国ですが、なかなか面白いのではないでしょうか?偏見はありませんが、中国よりは気持ちよく接する事ができそうな、好感がもてるAndreyさんでした。

会合3 6月9日 土曜日 朝
c0113608_17463921.jpg
前原に田植えに行きました。建設会社の若尾さんが維持管理している水田5枚です。その他に田畑などざっと1000坪(もっと広いかもしれません)ぐらい管理されていて、白糸の滝の入り口、山に近く、水量に恵まれたすばらしい場所です。機会を使っての田植えですが、水のやり方、抜き方、糖蜜の散布の仕方など、農業の奥深い知恵に一端をかいま見た気がしました。
浄水通りから車で30分、これほどの場所に田畑を借りることができれば、と思います。
東京のデザイナーの友人をたずねる時に、最高の贅沢な表現は、自分で育てた野菜をオリジナルデザインされたパッケージで「つまらないものですが」と差し出す優越感だと思っています。
東京都港区青山などと言った住所で「豊かなデザイン」が可能かな?と思います。モノ・コトの最大のテーマは、仕事を通じて福岡にいることの「豊かさ」の表現ではないでしょうか?「うまさ」ではなくて。
[PR]
by mono_koto | 2007-06-11 17:49

クラシオン荒江

クラシオン荒江が姿を見せました

メイ建築研究所・地遊環境設計と環の三社JVという珍しい組み合わせでプロポーザルに勝ち、実施設計を行った仕事。今はなき「岩さん」こと岩野さんの置き土産でコンペは始まり、設計の時に岩さんは居ませんでした。

敷地の半分を処分し、100戸あまりの新築に現居住者の一部が引っ越し、さらに新たな入居者を集めるというプログラム。
賃貸住居それも公営という視点から、民間では踏み切れないさまざまなチャレンジをしている。二十数タイプの住戸の中にはメゾネットや二世帯連結型も。
竣工は7月半ば、その時には外構も整備されもう少し落ち着いているでしょう。

福岡市の西部、交通量の多い国道202号に沿って広がっていく市街地の中、都心部と郊外の接点といえる立地である。
 沿道は分譲や賃貸など様々な共同住宅が建ち並び、その間に郊外店がちりばめられた、少し混乱した景観を呈している。そのような中に、周りの建物と少し異なった軽やかな印象を与える外観。さわやかなランドマークとなり、まちが集積を高め変化する流れをリードする。
 そこでは多様な住まい方を内包する内部空間が外観ににじみ出たという考え方のもと、変化に富んで楽しげな外観を構成している。「どっしりとした重量感」というより「動きや活力を感じる」ことをイメージしている。
 また公営住宅として地域貢献の視点から、さらに建築の低層部のデザインとして、玄関へのアプローチのキャノピーをバス停の待合いとした。
                           鮎川 透  写真は田中康裕

R202からの外観
c0113608_1929792.jpg


北側駐車場からの外観
c0113608_19294237.jpg


メゾネットタイプのインテリア、公社の担当川邊さんが頑張りました
c0113608_1930236.jpg

[PR]
by mono_koto | 2007-06-06 20:13